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【始球式動画】間宮祥太朗の野球経験、野球歴!引退理由やブランクは

間宮祥太朗

プロ野球の始球式(ファーストピッチ)で芸能人最速の139キロを記録した間宮祥太朗さん。

高校球児でもなかった間宮祥太朗さんがどうしてこんなことができたのでしょうか。

間宮祥太朗さんの出身、小学、中学、高校を振り返り、

間宮祥太朗さんんが所属した少年野球チーム、中学での野球経験、野球を引退してしまった理由、ブランクの間の野球歴など、間宮祥太朗の野球経験、野球歴についてまとめてみました。

間宮祥太朗は芸能人最速のピッチャー

間宮祥太朗の野球の実力【始球式動画】

プロ野球始球式で芸能人最速の139キロを記録

始球式で投球する間宮祥太朗2019年7月23日の甲子園球場で行われたプロ野球「阪神タイガースvs横浜DeNAベイスターズ戦」の始球式(ファーストピッチ)を務めた間宮祥太朗さん。

野球経験があってポジションがピッチャーで、阪神タイガーズファンという間宮祥太朗さんに、始球式のオファーが来ると、

「子どもの頃は、ずっと野球をしてきたので、夢のようです。まさか甲子園で、ファーストピッチを任されるとは思っていませんでした!」と喜びを隠せない様子。

始球式当日、間宮祥太朗さんの投球練習にカメラが密着してその様子が公開されていますが、そのフォームが綺麗で投球の捕球音も本当の選手のよう

始球式に登場した間宮祥太朗

そして、「125キロを出したい!」と意気込みを語ってい中で、始球式では、なんと139キロのスピードを記録したのです。

プロ野球選手との対戦企画で2人から三振をゲット

『炎の体育会TVSP』で現役プロ野球と対戦する間宮祥太朗

2021年1月9日放送されたTBS系『炎の体育会TVSP』初の対戦企画「芸能界最強ピッチャー VS 現役プロ野球最強バッター」に出演した間宮祥太朗さん。

最強マスク・ド・スラッガーとの1打席勝負。

そして、間宮祥太朗さんは、2人から三振を奪ってしまったのです。

その対戦相手の2人は、アレックス・ラミレスと糸井嘉男選手だったのです。

糸井嘉男選手は、侍ジャパンの元4番で、首位打者も獲得している阪神タイガーズの現役選手です。

阪神タイガースの糸井嘉男選手と間宮祥太朗

ラミレスをスライダー、糸井嘉男をカーブでそれぞれ三振に仕留めるという、始球式で投げた139キロの豪速球だけでない、変化球を巧みに使った投手力も間宮祥太朗さんは見せつけたのです。

それにしても、元甲子園球児でもないはずなのに、凄すぎるとしか言いようがありません。

野球経験者の芸能人ピッチャーと比較

間宮祥太朗と高岸宏行と上地裕介

これ迄、高校時代に野球部で活躍していた芸能界でも有名な投手というと、

  • ティモンディ・高岸宏行

始球式のスピード記録:138キロ

野球経験:中学生から大学3年生まで

  • ゴールデンボンバー・樽美酒研二

始球式のスピード記録:135キロ

野球経験:小学生から高校生まで

  • EXILE・関口メンディー

始球式のスピード記録:133キロ

野球経験:保育園年長から高校生まで

  • 劇団EXILE・鈴木伸之

始球式のスピード記録:122キロ

野球経験:小学生から中学2年生まで

  • KAT-TUN・亀梨和也

始球式のスピード:

野球経験:小学生から中学

日本テレビ系スポーツ番組『Going!』で亀梨和也さんがピッチャーとして140キロを目指すという番組企画「豪速球プロジェクト」が始まり、プロ野球選手から指導を受けて2年間のトレーニングを積んで、測定した結果は115キロ、そして企画終了。

現役投手でない限り、120キロ以上のスピードで投球することは難しいようです。

ユニフォーム姿の間宮祥太朗

高校球児でもなかった間宮祥太朗さんが、プロ野球の始球式で139キロを記録したり、現役プロ野球選手から三振を取るということは考えられないくらい凄い結果です。

間宮祥太朗さんの野球経験、野球歴が本当のところどうだったのか気になりますね。

間宮祥太朗の野球経験、中学迄の8年の野球歴

間宮祥太朗の出身小学・中学・高校

間宮祥太朗の出身小学校

野毛オールスターズの間宮祥太朗

神奈川県横浜市出身の間宮祥太朗さん。

wikipediaでは、間宮祥太朗さんの出身地を神奈川県横浜市の神奈川区と掲載していますが、

間宮祥太朗さんの小学時代、中区少年野球連盟の野球チーム「野毛オールスターズ」に所属していたことから、中区出身である可能性もあります。

そして、1999年4月に間宮祥太朗さんが入学した小学校は、地元の公立の横浜市立本町小学校、あるいは横浜市立元街小学校のどちらかといわれています。

  • 横浜市立本町小学校

住所:神奈川県中区花咲町3-86

横浜市立本町小学校

最寄駅は「桜木町」駅で、周りにみなとみらいと野毛町が広がる横浜の代表的なエリアです。

  • 横浜市立元街小学校

住所:神奈川県横浜市中区山手町36

横浜市立元街小学校の正門

山手公園に隣接して、近くにフェリス女学院に横浜雙葉小学・中学といった才女が通う名門校があり、丘を降ると横浜中華街といったところ。

横浜市立元街小学校の地図

間宮祥太朗さんには、祖父に連れられて世界一周旅行を何度もしたという幼少期のエピソードがありますので、実家は横浜の山手の資産家なのかもしれません。

間宮祥太朗の出身中学校

間宮祥太朗

中学校へは、プロ野球選手になることを目指して、野球に打ち込める環境の神奈川県の法政大学第二中学校へ2006年4月に入学します。

  • 法政大学第二中学校

住所:神奈川県川崎市中原区木月大町6-1

偏差値:56
偏差値ランキング:神奈川県内237件中の27位

中高一貫の共学校で法政大学の附属校で、10年一貫教育を掲げて大学まで内部進学できる中学校です。

当時、ここの軟式野球部に入部してプロ野球選手を目指していたわけです。

この頃の法政第二中学校の軟式野球部は、全国区の強豪校にはありませんでしたが、後の2015年の春・秋で関東大会で優勝し、2018年の秋の神奈川県大会で準々決勝するなどしています。

ところが、間宮祥太朗さんは、中学3年になると野球部を辞めて野球の道から完全に引退してしまったのです。

そして、2009年3月に卒業します。

間宮祥太朗の出身高校

間宮祥太朗

野球の道から引退したからなのか、高校は内部進学で法政第二高等学校には進まず、2009年4月に一般受験から神奈川総合高等学校へ入学したのです。

  • 神奈川総合高等学校

住所:神奈川県横浜市神奈川区平川町19-2

偏差値:66
偏差値ランキング:神奈川県内336件中の25位

ちなみに、高校の運動部に野球部はないようです。

2012年3月に卒業すると、大学には進まず俳優の道を突き進んだわけです。

間宮祥太朗の野球経験は小学と中学の8年間

野毛オールスターズの間宮祥太朗

間宮祥太朗さんの野球経験、野球歴は、遡ってみると小学1年から始めた地元の少年野球チーム「野毛オールスターズ」での6年。

野毛オールスターズ

少年野球チーム「野毛オールスターズ」

中区少年野球連盟
横浜市少年野球連盟(YBBL)

横浜市中区JR桜木町駅近くにある本町小学校を活動の拠点として活動しているチーム

そして、法政第二中学校での2年と数ヶ月。

間宮祥太朗さんの野球経験、野球歴は、中学までの約8年という短さで、しかも、軟式ボールを使った軟式野球まで。

(硬式ボールが扱えるのは高校野球からだそうです)

そんな間宮祥太朗さんが、プロ野球のマウンドで始球式とはいえ芸能界最速の139キロを記録し、番組企画では現役プロ野球選手から三振を奪うピッチングを披露したわけです。

間宮祥太朗が中学で野球を引退した理由

間宮祥太朗が野球を引退した理由が意外

間宮祥太朗と野球チーム

プロ野球選手を目指していた間宮祥太朗さんが中学でなぜ野球を辞めてしまったのでしょうか。

その理由が、2019年11月12日配信の『the fashon post』の間宮祥太朗さんのインタビュー記事の中に掲載されています。

インタビュアーから「間宮さん自身も何か挫折のようなものを経験されたのですか?」と尋ねられると、

(間宮祥太朗)

負けたとか、怪我とかそういう決定的な要因が何かあったわけではなく、わりと順調ではあって。

ウチの部活は強豪とかではなかったけれど、人数も多くてそこそこ強かった。

そんな中で1年の時に試合に出れたりして順調にはいっていたんですけど。

自分と同じポジションに、もう1人同じようにわりと早めに評価されて、引っ張られて試合に出るような子がいて。

僕は部活の時間以外に自主練したりするタイプではなくて、野球をやる事自体は好きだったんですけど、他にやりたい事もあったし、友達と学食とかでダラダラする時間も好きだった。

でも、彼は朝早く起きてランニングして、学校に来ては部活に支障のないように真面目に勉強して、部活やったらすぐ帰宅して夜はまた自主練というような人間で。

野球の実力はお互い認めていたけど、もちろん性格的には相入れなくて。

出典:the fashion post 2019.11.12

さらに、インタビュアーから「絵に描いたように正反対な2人ですね」と言われると、

そうですね(笑)。全然相入れなかった。

僕も上手くなりたい気持ちもあるけど、こんだけ野球に時間を使えるということが、そのまま情熱の差なのかなと思って。

そこまで自分に情熱がないのであれば、続けている必要もないなと感じて辞めました。

それで何かやりたいことが見つかるかなと思って、元々好きだった音楽や映画を聴いたり観あさったりしてました。

出典:the fashion post 2019.11.12

間宮祥太朗が野球を引退で心境の変化

間宮祥太朗

2019年11月13日配信の『FASHION PRESS』の記事の中にも、野球を辞めた理由、さらに、引退後に間宮祥太朗さんが感じていたことが語られています。

これが、法政第二高等学校に内部進学せずに外部の高校に進学した理由なのかもしれません。

(間宮祥太朗)

中学3年生頃までずっと野球をやっていて、体育会系の人たちが周りに多かったり、学校の中でも派手な集団に所属したりしていて目立つ存在だったと思います。

でも野球を辞めてから、みんなで集まって盛り上がってる感じが自分に合わなくなってきてしまったんです。それでずっと1人でヘッドフォン着けて音楽を聴いていた時もあったなって。

出典:FASHION PRESS 2019.11.13

2019年8月30日放送のテレビ朝日系『徹子の部屋』に出演した時にも間宮祥太朗さんは野球を始めた時のことや、辞めたことなどのエピソードを語っていました。

徹子の部屋の間宮祥太朗

(黒柳徹子)
そうそう。 でもあなたは小学1年生の時から野球をやってらして、、

(間宮祥太朗)
野球 やってました

(黒柳徹子)
野球少年、なりたかったんですって?

(間宮祥太朗)
はい、もともとはプロ野球選手になるつもりで

(黒柳徹子)
そうなの? あらすごい

(間宮祥太朗)
そうです、これ、野毛オールスターズっていう僕の所属してたチームなんですけど

野毛オールスターズの間宮祥太朗 (黒柳徹子)
えー! 何年生? これ

(間宮祥太朗)
これ小学校、低学年だと思いますね

(黒柳徹子)
随分だけど、本式じゃない?すごいカメラ見てきますね

(間宮祥太朗)
そう!試合に集中しろよっていう風に思いますけど

(黒柳徹子)
カメラ、ちゃんと目でキッて見て、ポジションはなんだったんですか?

(間宮祥太朗)
僕、ピッチャーでした。

(黒柳徹子)
あっ すごいのね!

(間宮祥太朗)
やっぱりなんか、サードとかもやったんですけど肩が強いから、お前ピッチャー
やってみろっていう事でピッチャーやったらやっぱ1球1球、自分の投げて始まるっていうのが楽しくて、それで ピッチャーにハマっていきましたね。

(黒柳徹子)
じゃあ高校時代もずっとやってらしたの?

(間宮祥太朗)
いや、この仕事始める前に野球やめてしまって

(黒柳徹子)
あっ そうなの?

(間宮祥太朗)
そうなんですよ。プロになろうと思って中学もそういう強い学校に行ったんですけど自分と同じポジションピッチャーで争ってたまあライバルに近い存在の子がいてその子がもうすっごい真面目な子だったんですよ

もうずっと野球に時間使って授業もちゃんと受けてっていう

野球に対する情熱をその彼と比べた時に自分にはそれだけ情熱を費やせる何かが他にあるんじゃないかなって思って

それで野球をやめました。

出典:テレビ朝日系『徹子の部屋』2019年8月30日

間宮祥太朗のプロフィール、長いブランクに草野球

間宮祥太朗のプロフィール

間宮祥太朗
  • 名前:間宮祥太郎
  • 本名:馬渡祥太郎(まわたり しょうたろう)
  • 生年月日:1993年6月11日
  • 年齢:30歳
  • 出身地:神奈川県横浜市
  • 血液型:O型
  • 身長:179cm
  • 靴のサイズ:28cm
  • 趣味:音楽鑑賞、ギター、映画鑑賞
  • 特技:野球
  • デビュー:2008年
  • 所属事務所:トライストーン・エンタテインメント

13歳の中学1年生の時に学校の先輩に連れられて雑誌に出たことがあって、その雑誌を今のテレビ局のプロデューサーがたまたま目にして、

その後、今の事務所のトライストーン・エンタテインメントに間宮祥太朗さんのことを紹介したことが、芸能界入りのきっかけだそうです。

そして、15歳で俳優としてデビューしたわけです。

デビュー作は、2008年10月から放送された日本テレビ系ドラマ『スクラップ・ティーチャー〜教師再生』。

間宮祥太朗の長いブランクの中で草野球

間宮祥太朗

野球から完全引退している間宮祥太朗さんですが、これまでの長いブランクの中でも草野球はやっていたようです。

そんな情報を間宮祥太朗さんの公式アカウントからツイートしてくれています。

間宮祥太朗
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